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●地域情報〜名所・史跡情報(2)

 

瀬田・唐橋

 
瀬田の唐橋は、古くから音に聞こえた名勝であり、「近江八景」の一景(「瀬田の夕勝」)ともなっています。
  江戸時代以降では、瀬田川を遊覧する多くの人々で賑わい、特に、船遊びでは流行を読んだ時期もあり、 松尾芭蕉も瀬田の螢船に乗り、

「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」

の句を残しています。文人墨客の往来が頻繁であったことが想像されます。
  現在も、瀬田川に網をうち、その収穫した魚を船上で味わう「網船」が観光客の人気を呼んでいます。

 
     

  一方、唐橋は交通、軍事の要衝であったこともよく知られ、記紀神話の時代から、 「瀬田」の名が出てきております。天武天皇元年(672年) の壬申の乱に際しても大海人皇子軍と大友皇子軍との最後の決戦場となったのが、 この瀬田唐橋と言われています。
戦国時代になると天下人を目指す諸大名にとって京の玄関口となるこの唐橋の戦略的な重要性は増し、かの武田信玄も臨終にあたり重臣である山県昌景に「明日は瀬田の唐橋に武田の軍旗を立てよ」と言い残したと伝わります。更に徳川家四天王が一人、榊原康政も豊臣秀吉が逝去した際、瀬田に関所を設け人留めを行う事で瀬田に徳川が大軍を展開させたと見せかけ、諸大名に徳川家の威光を示したと言われています。
長く木造であった唐橋も大正13年(19246月にコンクリート製に変わり、 現在の橋はさらに新しく、昭和54年(1979)に竣工したものです。この間も唐橋の塗り替えが何度も行われ、平成24年以降はクリーム色になっております。

 
 

近江国衙跡

 
奈良時代の大津は、宮都から一地方国へと政治的地位を後退させました。近江国は、中央から国司が派遣されていましたが、その政庁が国衙であり、その所在地を国府といいます。 発掘調査の結果、近江国衙は、瀬田の三大寺丘陵(現在の神領団地)に8世紀の中頃に建設され、10世紀末まで存続していたと推定され、国の指定史跡となっています。
 
 
 

建部大社(たけべたいしゃ)

 
瀬田神領町にあるこの神社は、「近江一の宮」であり、天武天皇白鳳4年(676)に、建部連安麿が詔を受けて日本武尊を祀ったのが始まりです。
  もともとは、神崎郡建部村にありましたが、当時国分寺や近江国府のあったこの瀬田の地に移されました。
 
 

昔より「武運の神」として知れわたっていますが、これは源 頼朝が平家に捕らわれて、伊豆に流される途中、この神社に詣で、武運を祈願したということが、平治物語に記されています。また、30年の後、建久元年(1190)、この源 頼朝が征夷大将軍として上洛の途路、この神社に参拝し、今日の隆盛に感謝し神領を寄進したと言われています。
その後、元中8年(1391)の承久の乱のとき、この辺りは戦場となり兵火で焼き払われ、多くの宝物を失い、古い文書、記録は残っていません。天文末年の弓座の記録が最も古いものとなっており、延慶2年(1309)、勢多の判官中原章則がこの神社を再興したと伝えられています。
正面には神門が見え、その奥に神木の三本杉、次いで入母屋造の拝殿、そして中門を隔てて本殿と権殿があります。本殿には、日本武尊が祀られています。

 
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